2025年5月、静岡県伊東市の市長選で初当選を果たし、一躍注目を集めた田久保真紀氏。
市民運動から政界へと転じた異色の経歴や、メガソーラー反対運動での実績に加え、素朴で市民目線の主張が評価されました。
しかし、当選後に持ち上がった「学歴詐称疑惑」により、その評価に揺らぎが生じています。
本記事では、田久保氏の生い立ちから政治家としての歩み、そして東洋大学の「除籍」問題の真相までを徹底的に解説します。
経歴と信頼性が問われる今、彼女の実像に迫ります。
田久保真紀のプロフィールと経歴まとめ
田久保真紀の基本情報(生年月日・年齢・出身地など)
田久保真紀(たくぼ・まき)氏は、1970年2月3日生まれの政治家です。
2025年現在、年齢は55歳。出身は千葉県船橋市ですが、現在は静岡県伊東市に在住しており、同市の市長を務めています。
無所属で活動し、これまでに伊東市議会議員を2期務めた実績を持ちます。
幼少期から伊東市移住までの生い立ち
田久保氏は10歳のときに父親を亡くし、家庭的にも経済的にも厳しい状況の中で育ちました。
中学3年生のとき、家族と共に静岡県伊東市へ転居します。
地元の伊東市立北中学校に進学し、その後は静岡県立伊東城ヶ崎高等学校を卒業しました。
学生時代〜東洋大学法学部への進学と除籍
高校卒業後は、東洋大学法学部経営法学科に進学。
しかしながら、後に除籍となったことが明らかになっています。
在学中の詳細な状況は曖昧で、本人の証言によれば、自由奔放な生活を送り、住所不定のような状態で通学状況も不明瞭だったとのことです。
政治家としての歩みと伊東市長就任まで
広告業界からカフェ経営者へ
大学を離れた後、田久保氏はバイク便ライダーやイベント人材派遣会社で働くなど、さまざまな職業を経験しました。
その後、広告業界で独立し、実業家としてのキャリアを積みます。
2010年には再び伊東市に戻り、地元でカフェを経営。地域に根ざした活動を始めました。
市議会議員としての実績(2期)
2019年に伊東市議会議員に初当選し、以後2期にわたって市政に携わります。
市議としての実績は多岐にわたり、特に地元住民の声を反映させた政策提言や環境問題への取り組みに注力しました。
メガソーラー反対運動と市民からの支持拡大
2018年には「伊豆高原メガソーラー訴訟を支援する会」が結成され、その事務局長、後に代表として活動します。
メガソーラー建設による環境破壊を懸念する市民の声を代弁し、地域の自然保護を訴える姿勢が支持を集めることとなりました。
2025年 伊東市長選での当選と対立候補との戦い
2025年4月、田久保氏は伊東市長選への立候補を表明。新図書館の建設を公約とする現職の小野達也氏と一騎打ちとなります。
小野氏は自民党・公明党・連合静岡などの強力な支援を受けた一方で、田久保氏は市民目線での情報公開や財政の見直しを訴えました。
結果として、田久保氏は14,684票(得票率53.23%)を獲得し、小野氏を破って初当選。2025年5月29日に正式に伊東市長に就任しました。
田久保真紀の学歴詐称疑惑とは?
東洋大学卒業と公表していたのか?
市長選後の6月、田久保氏の学歴について「東洋大学卒業とされていたが、実際には除籍ではないか」との市民からの指摘がありました。
田久保氏はこれまで、明確に卒業と公表していた形跡はないとしつつも、経歴に関する表現の不透明さが問題視されました。
市議会での代表質問と「卒業証明書」問題
2025年6月25日、伊東市議会で杉本一彦議員が代表質問を行い、田久保氏に卒業の事実確認を求めました。
田久保氏は「代理人弁護士に任せている」などとして明言を避けましたが、議会関係者に卒業証書のような文書を「一瞬だけ」提示したとされています。
ただし、写しや正式な卒業証明書の提出は断ったとのことです。
市長の答弁内容と「怪文書」発言の波紋
田久保氏は、学歴に関する市民からの投書について「怪文書」と表現。さらに「こうした内容に対応すると、投書した人物の思うつぼになる」として、一切対応を拒否する姿勢を示しました。この発言は、市民との距離感や説明責任の欠如を指摘される一因となっています。
7月2日の会見での発表内容

「除籍でした」と認めた経緯と内容
2025年7月2日、田久保氏は緊急記者会見を開き、「卒業は確認できませんでした。除籍であることが判明しました」と正式に発表。長らく曖昧にしてきた学歴問題に初めて明確な形で答えたものの、時期の遅さや発表までの経緯には批判の声も上がっています。
除籍理由と在学年数に関する説明
会見の中で、除籍理由についての説明は避けられました。本人の話では「自由奔放な生活を送り、住所不定のような状況で、いつまで通っていたかもはっきりしない」と述べており、通学の実態や在学期間についても不明確なままです。
なぜ卒業と認識していたのか?発言の矛盾点
卒業したと誤認していた理由について問われた際も、明確な回答はありませんでした。本人は「自分としては卒業したと認識していたわけではない」と発言し、経歴詐称との関連性を否定。しかし、この説明は市民や議会から「矛盾している」と受け止められ、さらなる説明責任が求められる事態となっています。